#016 (1/1)
■日時: 2009/2/21
■場所: 手児奈霊堂~里見公園
■走行距離: ?km
■走行ルート: JR西船橋駅から国道14号で東京方面へ。市川駅前の交差点を市川駅とは
反対側の道路をまっすぐ進み、手児奈霊堂へ。その後江戸川方面へ向い里
見公園へ。



 風が強かったが非常にいい天気だったので市川の手児奈霊堂、及び里見公園にポタリングに行った。手児奈とは 万葉集にも歌われている市川の伝説の美少女。多くの若者から求婚され、どうすれば良いか判らず遂に入水自殺し てしまう。たまたま最近新聞に手児奈についての記事が載っていたので、彼女を祭った霊堂が比較的近くにあるの を知ったので行こうと思った。手児奈霊堂は、それ程敷地は広くない。小さな池があった。境内では子供達が縄跳 びをして遊んでいた。こういう風景を見ると何となく気持ちが安らぐ。


 その後は里見公園に行った。ここも初めての公園。梅園がありもう咲き始めていた。調べたところ元々この公園は 「国府台城」という城があったとのこと。1479年に上杉氏の家宰太田道灌が千葉孝胤討伐のために建てたという。 1564年、里見義弘が下総進出を企てる北条軍を迎え打つにあたり、この城に陣を構えた。しかし里見側8000、北条側 20000という差、また里見氏は寝込みを奇襲され、結果敗北した。ここで戦死したのは5000と伝えられている。この 霊を慰める「里見軍将士亡霊の碑」というのがあった。


 「里見軍将士亡霊の碑」の隣には「夜泣き石」というものがあった。戦士した里見弘次の末娘(当時十二、三歳) が、この地に父の霊を弔うため安房の国から当地へ来た際、あまりの凄惨さに傍らにあった石にもたれ泣き崩れ、 遂には死んでしまった。しかしそれから毎晩その石からは、女のすすり泣く声が聞こえたという。そこから「夜泣き 石」と呼ばれるようになった。しかしその後一人の武士が通りかかり供養したところ泣き声はなくなったという。  この公園には写真にみるような噴水などあり普通に見れば何気ない公園なのだが、そういう悲しい歴史のある場所 なんだと改めて知った。


 公園自体はMTBで走りまわれる程広い公園ではなかったが、市川市で一番標高の高い場所がこの公園にあった。 標高30.1m。市川市にはMTBで駆け巡れる山の方なものはないと悟った。ちょっと早めの梅見ポタリングに なった。
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