#014 (2/2)
■日時: 2009/1/18
■場所: 西船橋
■走行距離: 14.5km
■走行ルート: 西船橋駅から行田公園方面へ向う。途中八坂神社への道に入り、妙見神社を通り
再び西船橋駅近くの国道14号にでる。14号を東京方面に向かい幾つか神社を
通った後、再度千葉方面へ向う。浅間神社、龍神社を周ったのち再び西船橋駅へ。



 国道14号を東京方面に向う。丁度京成線「東中山駅」の前にある「羽黒神社」に来た。延宝6年に建てられた らしい。出羽三山の一つ羽黒山の神「羽黒権現」を祀る。他に熊野神社や妙見社、摩利支天社がこの近辺にあった がこの羽黒神社に合祀されたとのこと。ここも非常に大きいイチョウ、ケヤキの木があった。もちろん葉はなかっ たが夏や秋とかには綺麗な景色になるかなと思った。


 丁度京成線「中山駅」と「東中山駅」の中間位に14号線に面して「子の神社」と「八幡神社」がある。2つ とも非常に小さい神社だ。写真奥が「子の神社」。手前が「八幡神社」。「子の神社」は「大国主命」を祀り、 「八幡神社」は、調べたが分からない。「八幡神社」自体は日本広範囲に広まっており、御祭神もそれぞれ異なる ようである。この場所は、その昔千葉と八幡の境界線の位置に関係しているとのこと。本当に小さく横は民家?。


 「子の神社」、「八幡神社」の近くにある「稲荷神社」。ここの鳥居は日露戦争から帰還した若者により立てら れたとのこと。「稲荷神社」は全国に非常に多いが、元は京都の方の土地の守り神「稲荷神(宇迦之御魂神(うか のみたまのかみ)」。ここはどうか分からないが、多分祀られているのは、同じ神ではないだろうか。


 この神社の裏に狐塚というのがあった。ガイドマップによると、かつて電車に轢かれる狐が多く供養のために建 てられたのだという。狐は稲荷神の使い、もしくは化身と呼ばれた位だからやはり、そのまま何もしない訳にはいかなかったのだ ろう。こじんまりした狐塚ではあったが、手入れも行き届いていて綺麗だった。

 「稲荷神社」を出た後は今度は再度14号を西船橋方面へ、来た道を引き返した。西船橋駅の近くで14号 に面している。「春日神社」に行った。春日神社はもちろん奈良の「春日大社」の分社。御祭神は天児屋根命 、建御雷神、経津主神、比売神、の四柱の神。藤原氏の氏神である。ここも同じで、江戸の中期に建てられた らしい。印内村の鎮守とあった。先にみた「葛飾神社」等もこの地を代表する神社だったので、この辺りに村、 町の境界があったのだろうか。
 神社自体はやはり古い。社の横には布団や袋が沢山置かれていた。浮浪者がいたのだろうか。周りの木もあ るにはあるがまばらであるため神社の敷地の外がよく見える。高台にあり神社の上の方には図書館があった。 周りの草等は刈られた後があるので、手入れはされている。ただ鳥居の入口も公園の柵みたいなものがあり、 気楽にお参りするのを防ぐようなイメージがあって少し残念。以前何かあったのだろうか。


 ツーリングも後残すところ2神社のみ。まず「浅間神社」14号を更に千葉方面に進んだところに14号から 少し内陸に入ったところにある。高台にあり鳥居を潜って社までは結構な距離がある。「浅間神社」は元は「富 士山本宮浅間大社」。御祭神は「木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)」。鳥居のそばに小さな 公園があり小さい子供連れの親子が遊んでいた。何となくいい雰囲気だった。神社は人の生活が身近に感じられな いとだんだん荒廃していく気がする。この神社も高台だが横は民家に囲まれており、前述したとおり入口から社ま で距離があるものの横から入ることもできる。そういう地形的なところからも人の生活の一部に入りやすいのだろ う。非常にいい雰囲気の神社だった。


 ラスト一社、「龍神社」。この辺り西海神村の鎮守で、江戸時代に「大綿津見命」を祀ったがこの「大綿津見命」 仏名が「沙喝羅(しゃがら)龍王」であったことから、「龍神社」となったそうだ。妙見社、大六天社、八幡社が 合祀されているとのこと。この建物の後ろに本殿があるが、彫刻が非常に素晴らしい彫られている。ここもどういう 地形だったのか変わらないが、神社の敷地の隣に何の隔てもなく公園があり、親子がキャッチボールをしていた。 先ほどの浅間神社と同様、人の生活の中に神社があって、神社がその人達を守っているというような感じがした。

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