#032 (2/2)
■日時: 2018/4/30
■場所: 西船橋~鷲宮神社ツーリング
■走行距離: 139.9km ■TRIP TIME:9時間20分
■走行ルート: 西船橋駅から、荒川を通り、国道4号経由で、権現堂堤へ。その後県道152号で、鷲宮神社へ。
帰りは同じルートで帰宅。


さていよいよ最後の鷲宮神社。これもそれ程遠くはない。程なく神社についた。

参拝客は、幾らかいた。主にお宮参りのようだった。境内にはいると敷地もそれほど大きくはない。周りに摂社等が多く建っていた。

入口の鳥居

なんと言ってもここの神社は、祭神は、「天穂日命(アメノホヒノミコト)」、「武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)」「大己貴命(オホナムヂノミコト)」の3柱に加え、 合祀祭神が、建御名方神(タケミナカタノカミ)、伊邪那美神(イザナミノカミ)等9柱もある。

神社がどれだけの神様を祀っていいとかのルールは知らない、そもそもルール自体もあるのかどうかも知らない。
だけど合計12柱の神を祀っているというのはかなり今まで観た神社の中でも多いと思った。

また「関東一古い神社」という説明があった。「え?関東で一番古いのは鹿島神宮だろうが。」と思い、鷲宮神社のホームページを観ると確かに「出雲族の草創に係る関東最古といわれる大社」 という記載がある。

9柱を複数の摂社で祀っていました。この摂社のその一つ
境内の様子


そんなバカなはずなかろ?と思い色々ググった。確かに同じ様に疑問を抱いている人も多い。
でWikiを観ると「歴史資料に現れるのは『吾妻鏡』の建長3年(1251年)の記載が最初であり、この主張は根拠を欠いている。」との記載があった。
ただ古くから人は住んでいたらしい、とのこと。
うーんそれだけで関東最古を名乗るか~、とも思い何かしら鹿島神宮より古いという証拠があるのだろうと思うがよくわからなかった。
「出雲国造神賀詞」に記載されている「天穂日命(アメノホヒノミコト)」が祭神の一柱であるが、それだけで関東一古いというのか、読み解けなかった。

で、そのメインである「天穂日命(アメノホヒノミコト)」とは古事記の中では、あまりいいようには書かれていない。
天照大神に言われ、芦原の中つ国を治める様に言われたが、その時芦原の中つ国を治めていた大国主命と仲良くなってしまい、治めるどころか、天照大神に報告もせず、大国主命に取り込まれてしまった神。

つまり活躍どころが何にも役に立っていない神のように描かれている。
しかし「出雲国造神賀詞」では、そうではなく、地上の悪神を治めるために使わされ無事任務を成し遂げたとされているとのこと。

まあ、所詮神話で、史実ではないのでどっちが正しいとか正しくないとか言えないが、史実でない故に同じ神でも様々な書物で、色々異なって書かれるんだなと思った。

暫く境内の中を散策した。お宮参りの方が何組かいた。皆楽しそうであった。

この神社で丁度70km。この後は来た道を引き返すだけ。時刻は12時を過ぎている。まあそれでも行きのように途中で寄り道もしないので早めに帰れるだろうと思った。 幸いお尻や足が痛いということはない。

暫く走っていると喉が渇いてきたので、ディスカウントショップに立ち寄り、そこでゼリーと飲み物を買った。
こういう街中でのツーリングはディスカウントショップが大概はあるので、安くものを買えてうれしい。


帰りは向かい風だったので結構辛かった。やっと荒川に出たと思ったら、更に凄い物凄い向かい風。
河川敷はしかも野球とかで砂が結構舞ったりするがそれが直接降り注いでくる。

また汗が出ていいる上に強風なので段々寒くなってきた。上着は使わないかと思ったが、持ってきて正解だった。 後少しというところで河川敷の道が途切れて、高速道路の高架下を走ることになったが、またここが凄い風。 二度と走りたくないなと思う位だった。

さてようやく14号に着いたが、またもやハンガーノック状態になっていた。
新小岩の交差点のコンビニで弁当を買ってその場で食べた。

さあ、後10km。ってことで走っていたが今度は猛烈な眠気。
ここ2,3年、チャリでもランでもやった後は猛烈な眠気が来る。それだけ体力が落ちたってことなのかもしれない。

市川近くまできたものの、いつの間にか走りながら目を閉じていることもあり、これはマズイと思い、急遽降りて近くの人気のない空き地に移動してそこで寝た。

完全に爆睡。10分位で目を覚ましたら凄く気分が良かった。その後は無事帰宅。久々のツーリングであった。