
千葉縣護國神社は、千葉公園から少し離れた所にあった。
走っていると割と街ん中だなという印象があり、こんな所にあるのかと思いながら走っていた。途中墓地がみえてきたのでこの辺りなんだと思って走っていた。
到着して驚いたのが、第一印象として「ちっちゃ!可愛い!」って感じだ。前の神社を写真でしかみたことがないので、もしかしたら広さ的には同じなのかもしれないが、意外と小さいのだなと思った。
またもう一つの印象として、神社って感じがあまりしなかった。建物の形がそう思わせるのか。周りが普通の住宅が見えるからだろうか。
正面の鳥居
入口で自転車と
境内に「あゝ特攻」という銅像があった。これは前の神社にもあったものでこちらに移転されたとのこと。
石碑には、「昭和16年~20年、米英支ソ蘭豪と大東亜戦争を戦った。自国の安寧と欧米の植民地支配からアジアを解放するためだった。」とあった。
太平洋戦争って言葉は、アメリカからみた戦争。日本からみたら本当は大東亜戦争だったと思い出した。
そもそも戦争の範囲が異なる。ただ「大東亜戦争」という言葉は、戦後「GHQ」が日本人が「大東亜戦争」と呼ぶのを禁止して「太平洋戦争」と呼ぶようにと厳命したことから、消えたのだ。
しかし現在再び歴史をちゃんと理解する上でもこの「大東亜戦争」という言葉を使われている様子だ。個人的には良いことだと思う。

これについては靖国参拝問題などにも絡み色々議論が現在でも交わされていることからここで、どうのこうの記載しない。ただ自分自身は靖国参拝も良いと判断している。
自分は今、富国強兵等が必要だとは思ってはいない。靖国神社に参る人が全て、過去の富国強兵や大日本帝国を目指すのに賛成しているとひとくくりにするのは間違っていると感じる。
侵略戦争、自衛戦争まだまだ自国の歴史を正しく完全に理解できているとまでは言えないと思うが、機会を見つけ更に理解を深めていきたいと思っている。
このページのタイトルも「太平洋戦争」と記載しているが「大東亜戦争」と記載しても良いかと思ったが余計なコメント等受けないようこのままにしている。
千葉県特攻顕彰碑
社務所
「特攻」については、自分も本等でもちろん知っている。凄まじい歴史の一ページだと思っている。特攻で亡くなった方々の手紙とかも読んだことがあるが、読んでいると泪でてきてまともに読めなかった経験がある。
戦死することを潔しと書いた手紙が多い(というか殆ど全て)が、当時は手紙の中身も検問でチェックされたということから、個人的には必ずしも本人の思いを表したものではないものもあるのではないかと思っていた。
実際はどうなのかは知らない。

境内には私しかいなかった。まあ終戦記念日も過ぎ、平日だとこんなもんかなと思った。
お参りを済ませ、社務所をみると、おみくじがあった。
おみくじとかは、初詣に来た時位しかしないのだが、まあ折角きたのだし、と思いやってみた。いくつかあったが、三角みくじってのが石がついていていいかなと思いやってみた。
大吉!
結果なんと「大吉」!書いている内容読んだが、「仰いで天に愧ぢず、附して人に恥ぢず」とある。「自己を反省してみて少しもやましい所のない、公明正大な心」という意味のようだ。
そういう心で常にあったかと言われると微妙な気もするが、これからそういう気持ちで行こう!
ちなみに入っていた石は、青い石で「ハウライトトルコ」という石だった。
おみくじと石
ハウライトトルコは「高い浄化作用と、鎮静作用に優れた効果をもつパワーストーン。ネガティブな感情や、不満による怒りをしずめ、冷静さと洞察力を取り戻すらしい。
そそっかしくて、大体物事を悪い方向にとらえる気質がある自分には、良い石かもしれない。

さて残りは一つ。「嗚呼、海軍七勇士殉難之碑」である。これはほぼ自宅に戻る形で途中から、自宅とは反対の方向に進む。
距離的にはそんなに走っていなくても、降りたり歩いたりしていると何だかんだ疲れてくる。特に千葉方面から稲毛海岸沿いを走っていると向かい風が結構あった。
普段それほど感じないのだが疲れていた証拠かもしれない。
さてこの碑の場所は「滝不動尊」の近くにあるとネットで読んでいた。
ルートも入れていたので基本道に迷う心配はなかったが、写真では何となく林と田んぼがある感じだったが、走っていても住宅街ばかり。本当にこんな所にあるのか?と思った。
しかし、程なく木々が見えてきて畑らしきものが見えてきた。この辺りだと思ったら標識があった。
住宅街から一変。畑が見える風景に
案内看板ありました
ちゃんとお花も添えられていました
説明看板
昭和17年11月に木更津空港基地から海軍第702航空隊の一式陸上攻撃機が訓練飛行に飛びたったのだが、この機が丁度この場所の上空で、天候が急変し落雷に遭遇し墜落した。
この時に搭乗していた二十歳前後の若者7名が墜落により亡くなったとのことだ。
看板には、亡くなった7名の方の名前も記載されている。無念だったろうと思い合掌した。
戦時、戦後は混乱の中、樹林の中に埋もれ参拝者もいなかったとのこと。それを地元の方々がまわりを整備し、このように表にでることができたとのこと。
素晴らしいことだなと思い、帰路についた。
久々に長距離(といっても70kmだが)サイクリングだった。かつて100kmや200km走ったがもうそこまで体力はないかな。
ただ今後も可能な限りツーリングは続けたいと思った。