#006(1/2)
■日時: 2013/5/3
■場所: 鹿島神宮~国営ひたち海浜公園ツーリング
■走行距離: 163.8km■TRIP TIME:約10時間30分
■走行ルート: 佐倉駅まで輪行。佐倉から国道51号で、鹿島神宮へ行く。次に塚原卜伝の墓、潮騒はま
なす公園へ行く。その後国道51号で国営ひたち海浜公園へ。帰りは県道114号等を通
って佐倉駅まで帰り、そこから輪行で自宅に戻る。

 GWツーリング第2弾。今回は以前から行こうと思っていた鹿島神宮に行くことにした。ただ鹿島神宮だけ じゃつまらないかなと思い、「国営ひたち海浜公園」も観にいくことにした。 朝5時起きのつもりが、目覚ましをセットし忘れたのか、起きたら7時過ぎ。「なんてこったい!」。 これから用意して行ったら間違いなく鹿島神宮、国営ひたち海浜公園両方は見れない。 やむを得ず、輪行で鹿島神宮まで行くことに決定。しかし成田から鹿島神宮に出ているものは数が少ないらしく、 佐倉まで行き、そこから鹿島神宮を目指すことにした。で、佐倉駅に着いて自転車を組み立ててスタートしたの が、10時40分頃。が、自転車のカギと、デジカメの充電した電池を忘れたことに気がついた。ガーン。 自転車のカギは、仕方ないので最寄のダイソーで購入!写真はiPhoneでいくしかない。写真は水郷橋。
天気は最高!国道51号を走って鹿島神宮へ向っていると、須賀交差点の手前で歩道をヤマドリか、キジのメス が歩いていた。「え?何でこんな街中に?」とびっくり。思わず自転車を止め、写真を撮ろうとすると、車道を何と 歩いて反対側に渡り空き地に入りこんだ。車が来ていないくて良かった。「飛べないのか?」と思った。 自分も反対側に私空き地に入り写真を撮った。その後更にとことこ空き地の奥、民家の方に歩いていった。 うーん、飛べないのか?そもそも何でこんなとこにいるのか。非常に疑問だった。
 鹿島神宮まで23kmだった。鹿島神宮までの路地にでると、「お、神社への路って感じ。」と思った。石畳の 路と両サイドには古くからあるようなお店が立ち並んでいた(写真左)。

 ・キジのメスかヤマドリか?
 路地に「龍神社」という小さいお社があった。ここは「高龍神(たかおかみのかみ)」と「闇龍神 (くらおかみのかみ)」の二神を祀っていた。この2神は、イザナギがイザナミが死ぬキッカケとなった、 ヒノカグツチノカミを斬った時に産まれた神だが、「高龍神(たかおかみのかみ)」は日本書紀のみ、「闇龍神」 は古事記にのみ出てくる神だ。同一の神かなとも思われるけど、このあたりはよく分からない。 ネットでも調べたけど、色々諸説あるようだ。そもそも古事記と日本書紀は同じ内容を書いているはずだが、かな り異なるところもある。ここの神社の説明文を読むと元々は二社が合祀されてできた神社らしい。なので元々は 別々の神社にそれぞれ祭っていたようだ。だから古事記と日本書紀どちらかに統一されず両方の神様を祭ったのだろうか。
 「龍神社」から少し進むと「鹿島神宮」が見えた。やはりデカイ。流石日本を代表する神社だ。駐車場の中に 自転車をとめようと持って行くと既に5,6台とまっていた。「お、同類がいる。」なんて思いながら自転車を とめた。中に入った時にまずびっくりしたのが、楼門の周りの木々がデカイ。鹿島神宮自体が紀元前660年建立 という位だからその辺りから立っている木なんだろうか。楼門の近くで結婚式を挙げた?方々がいた。厳かな感 じって言うんだろうか。なんかいいなあという感じがした。

 ・鹿島神宮入口
 「楼門」をくぐると更に眼の前にめちゃくちゃ高い木が4,5本あった。飛びぬけてデカかった。歴史を感じ させる木だと思った。大きすぎて倒れる心配もあるのだろう、ロープなどで倒れない様固定されていた。
 向って右側に拝殿(写真右)がありここで御参りをした。大勢の方が参拝していた。  奥へ進んでいくと「東神門」がありそこに色々見所が書かれていた。それ程数が多いわけではないので行って みようと思った。「東神門」をくぐったらまるで森の中。 両サイドの木々がでかかった。

 ・めちゃくちゃ高い木
 ・森の中?を歩いているみたい
 最初に見たのは「さざれ石」。横に日本の国旗の石碑があった。「何で日本の国旗と関係あるの?」と 思ったのだが、「君が代」の中に「さざれ石」が出てくるため。その内容を記載したものだった。それを 読んで「あーそういえば!」と思った。しかし「さざれ石」って何のことか良く知らなかった。元々は「細石」 と書き字の如く「細かい石」が長い年月を得て炭酸カルシウム等が接着剤となりお互い引っ付いて「巌」と なるそうだ。恥ずかしながら初めて「君が代」のこの唄の部分の意味を知った。細石自体は、色んなところに あり君が代のモデルとなったのは岐阜県にあるものらしい。
 さざれ石の隣にあるのが「鹿園」。奈良の春日大社は、この鹿島神宮のタケミカヅチノカミを勧請してもらった ということは、知っていたが実は「鹿」もこの鹿島からもらっていたということであった。これは初めてしった。 春日大社の鹿って自分は、元々春日山に住んでいてそこに春日神社ができた位にしか思っていなかった。 ちょっと驚きだった。鹿島神宮の鹿はこの囲いの中でしかいない。奈良の鹿のように自由には歩けないようだ。 まあ奈良のように山の麓にある神社ではないから、流石に放し飼いはできないのだろう。また案内を読むと現在 いる鹿は逆に奈良から移住してきた鹿とのことである。
 更に奥地へ進むと「奥宮」がある。徳川家康が関が原の戦いで戦勝した際に奉納したとのこと。タケミカヅチノカミ の荒魂を祀っている。タケミカヅチノカミは古事記の中でも元々武神のような扱いだったので、そもそも荒魂しかない のではと思う位なのだが、どうなんだろうか。基本的には神は和魂と荒魂を持っているといわれているが。  建物自体も周りの雰囲気からもひっそりと佇んでいるという雰囲気がある。なんか荒魂を祀っているとは思えない 雰囲気だった。
 「奥宮」の裏側の道を進んでいくと「要石」があった。要石は、地震を起こすなまずを抑えている石ということで 小学校の頃教科書でなまずの上に要石が置かれた絵を見たことで覚えていた。どんな凄い石なんか?と思い行ってみ ると「え?石なんかないじゃん?」。しかしよく見ると地面から少し石が顔を出している。案内板を読むとこの下を 掘っても掘っても石が取り出せなかったとか。それほど位デカイ石ということだ。
 その後「奥宮」の場所まで戻り、更に「要石」とは反対側の坂道を下っていくと、「御手洗池」がある。その手前 にお店があって、鮎の塩焼きとかを売っていた。美味しそうな臭いが漂っていた。

 ・要石に行く途中の左手にあった路。どこへ続くのか?
 ・売店。色々美味しそうなものを売ってました!
 「御手洗池」(写真左)は、誰が入っても水位が乳の位置を越えないという伝説がある。覗いて見ると鯉が泳いでいた。 池の周りの木がまた大きいのだが、上に伸びず横に伸びている感じなので、支え木で支えられていた。どういう成長の 仕方をするとこんな横に生えてしまうんだろうと思う位だった。
 「御手洗池」の隣には小さい池みたいなものがあった。覗いて見ると何やら黒い木の実のようなものが沈んでいる。 しかしよく見ると動いているので、何?と思うと、おたまじゃくしであった。池といいつつも水が非常に少ない状態な ので水がないところでは死んで?しまっているものも多かった。それにしても気持ち悪い位の多さだった。

 ・横に伸びた大木
 ・多量のおたまじゃくし・・・・
 「御手洗池」の奥は神社の出口であった。その出口近くの大きな木にヤマフジがついていた。綺麗で壮観であった。 鹿島神宮はこれで一通り観たという感じだ。遅れてきたにも関わらず1時間ほどここで費やしてしまった。この後は、 ひたち海浜公園に向うがその途中で「塚原卜伝の墓」や「潮騒はまなす公園」等寄っていく予定であった。
塚原卜伝という人物は正直このツーリングまで知らなかった。戦国時代の剣の達人であったが、「剣は人を殺めるもの ではなく生かすもの」という思想を貫いた人物とのことだった。ドラマになって結構有名になったとか。

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