#033 (1/2)
■日時: 2021/8/7
■場所: 西船橋~関宿城ツーリング
■走行距離: 110.5km ■TRIP TIME:9時間
■走行ルート: 西船橋駅から、県道9号(船橋松戸線)から、県道51号(市川柏線)、県道5号(松戸野田線)で櫻木神社へ。その後江戸川河川敷を通り
関宿城へ。帰りは利根川沿いを少し走って、野田市立二川小学校のところで元の道に合流。その後行きと同じルートで帰宅。


サイトでは自転車のお守りもあったみたいだったが、まだ空いていなかったので購入することはできなかった。
帰りも立ち寄って買えば良かったなって思った。

拝殿で記念撮影。マスクとサングラスじゃ本当怪しいオッサンだ。

野田市の見所はこの櫻木神社の近くに点在している。少し行くと「須賀神社」があった。
小さな神社だ。猿田毘古神(さるたひこのかみ)を祀っている。

出雲の「須賀」の大神の分魂をこの地に移したのが始まりとのこと。古事記の中で天孫の降臨の際に葦原中国までの道案内をしてくれたのがこの神。 様相は天狗を思わせる顔とのこと。

須賀神社。小さな神社でした。

猿田毘古神(さるたひこのかみ)の石像があるとのことで奥に進んだ。うん、年老いた天狗って感じかな。
天宇受売神と結婚した神様だ。古事記でも一番セクシーに描かれている、天宇受売神と結婚したとは中々プレイボーイ的な神様って感じ。

猿田毘古神(さるたひこのかみ)の石像

実際には「葦原中国までの道案内」をしたところから、「道祖神」としても呼ばれているとのこと。道祖神も色々あるようで、庚申塔等と一緒に道に祀られていることが多い。


同じ通りに直ぐいったところに「興風会館」という建物があった。
説明によると昭和4年に竣工、建築様式はロマネスクとのこと。ロマネスクって美術の授業で聞いたことあるなと思っていたが、 10世紀末~12世紀の中世建築様式で半円アーチや重厚な壁体が特徴らしい。
うん何となくそんな感じかな。もちろん現在も使われている建物だ。かなり古い建物だ。

その後みたのが、「旧野田商誘銀行」の建物。
現在は違う会社が入っているらしい。野田商誘の「商誘」はもちろん「醤油」からとっているとのこと。中々いいネーミングだ。

旧野田商誘銀行。上手いネーミング!

建物自体も「ザ・銀行!」って感じの堅牢だが奥ゆかしさが観られる感じがした。

次に来たのが、「愛宕神社」。
この神社は江戸時代末期に立てられた神仏習合の影響を受けかつては、隣にあった「西光寺」と同じになっていたとのこと。


境内に入って本殿を観ると、鰹木が5本、千木は内削ぎ。「あれ何か中途ハンパだな」と思った。内削ぎなら鰹木は偶数で「女性神」かと思ったのだ。

ところがこの本殿作りが面白い。通常の屋根の上に正面から向かって横に並んで置かれている。ここがこの神社も鰹木は5本。
しかし屋根から正面に向かって垂直に短い屋根がありそこに更に1本鰹木があった。
「おお!これで6本か!」と思った。なるほど面白い。ってことは「女性神」を祀っているかと思った。

しかし実際に祀られていたのは、火の神の「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」であった。つまり「男性神」かと思われる。
まあ千木と鰹木と神様の性別?はあまり関係ないのかもしれない。

伊邪那美命が亡くなる直接の原因となり、伊邪那岐命の怒りにより殺された神様だ。
境内の説明板には、火の災難を防御するために山城国愛宕郡愛宕の里から分霊して氏神とした、とあった。


しかし、元の山城国愛宕郡愛宕というのは、愛宕信仰の発祥の地で、火の神の信仰であった。そこでの神は「伊邪那美命」だった。
その後修験道をはじめた役小角がそこで修行し広めたらしい。 そして神仏習合の修験道として祀られたのは、愛宕権現とのこと。

愛宕権現は伊邪那美命と地蔵菩薩。つまり本当は地蔵菩薩が本来の姿で、人々を救うために伊邪那美命という神の形で現れるというものだ。
まあ他のレポートでも書いたが、当時江戸時代の人の勝手な解釈だよなってつくづく思う。全然関係ないだろって感じだ。

あとこの神社の特徴として「透かし彫り」というものがあった。
壁や柱のいたるところに彫り物があるとのこと。ただ本殿の周りは壁に囲まれていてちゃんと観ることが出来なかった。

境内の外には庚申塔が幾つも並んでいた。多いのはやはり「青面金剛」だった。で、下には言わざる聞かざる見ざるの像。

透かし彫り。何が彫られているかちょっと分らない。
庚申塔が並んでました。

となりの西光寺も綺麗なお寺だった。

さて続けて向かったのが清水公園。
清水公園自体で何か休憩して遊ぶ予定とかはなかったが、広い公園で何かと見所もあるだろうとちょっと休憩位と思い走っていた。


天気は空は完全に曇っていたがまだ、雨には降られていなかった。

実際清水公園に着いたものの、入口があまりよく分からない。
丁度公園の真中を道が通りそこを走っていたので、走っていたら入口があるのかと思ったが結局突き抜けてしまったところの駐車場から中に入った。

アスレチックコース等はかなり大きい様子だ。家族連れも多かった。
他にお店とかも寄ろうかと思ったが、ここで引き返すか、そのまま関宿城までいくかちょっと考えた。
体力的にはまだ大丈夫だが、如何せん天気が心配。ただここまで来たわけで、この先別の日にここまで来るかといいうとどうか分からない。 ってことで引き続き関宿城跡まで行くことにした。

この清水公園までで約33km。関宿城跡は更に20km先。
ただコースは平坦なコースばかりだ。また途中に見所等はあまりなく自分でも設定していなかった。
よって一気に関宿城跡近くまで走ることにした。途中から江戸川河川敷に入った。中々気持ちいい。江戸川河川敷もよく走ったが、ここまで走ってきたのは初めてであった。

河川敷では同じくサイクリングしている方がいました。

走り始めると、何人か自転車で走っている人がいた。関宿城跡に着くまでに幾つか関宿城関連で史跡があった。


最初は「関宿関所跡」だ。江戸時代、江戸と地方を往来する船が必ず通るここに関所を置いたとのことだ。
何か史跡があるというわけではなく、その場所のみが存在するという感じであった。

「関宿関所跡」の案内板

「まあ、こんなもんか」と思い、次に「関宿城大手門と城を囲む土塁・堀」という史跡だ。「門や城壁だからそれなりにデカいんだろうなあ。」と思って、地図をみると「関所跡」のすぐそば。
しかし、そんなドでかい門や城壁等見当たらない。「どこよ?」と思い地図が差す近くまで来ると、案内板があった。ここもこの位置にあったというだけで現在は影も形もない。
まあその形跡があるのだろうけど、どれが何なのか案内板だけだと分らなかった。

「関宿城大手門と城を囲む土塁・堀」の案内板

長居は無用ってことで、本丸の関宿城跡を目指した。
少し行くと砂利道。うーん河川敷なら舗装されているかな、と思いつつも登るのもめんどくさいのでそのまま走った。パンクしなければいいがと思いながら。

途中から砂利道じゃん!