#003(2/4)
■日時: 2012/8/16
■場所: 奈良山辺の道~橿原神宮~高天彦神社ツーリング
■走行距離: 136.4km ■TRIP TIME:15時間30分
■走行ルート: 奈良学園前駅から秋篠寺、国道369号を通り、春日大社へ。その後「山辺の道」に入り石上神宮
檜原神社、大神神社を回る。その後橿原神宮、一言主神社、天原彦神社などを探索した後国道24号
を通って帰る。

 春日大社は少し歩いたところにあった。春日大社はタケミカヅチノミコトとフツヌシノミコトとアメノコヤネノミ コトとヒメガミが祭られている。このうちタケミカヅチノミコトは、茨城県の鹿島神宮、フツヌシノミコトは千葉の 香取神宮から迎えた神である。何気に奈良と千葉って関係するところがあったんだと思った。千葉と奈良ってあまり 共通点がない印象だったからだ。
 春日大社では何人かがお参りに来ていた。春日大社の近くまでは入れなかった。早朝だからだろうか。皆手前の 「幣殿」から拝礼していた。写真は中門といわれるところ。この奥に本殿がある。

幣殿・舞殿
南門から外にでるとかなりの数の灯篭が並んでいた。灯篭は「春日灯篭」と呼ばれるものだろうか。灯篭は元々は 明かりを灯すものだと思っていたが、機能的にはそうであるが、神様からの一層のご加護を願って、崇敬者や氏子が 寄進されたものとのこと。また灯篭自体日本固有のものでなく大陸から伝わったもので本来は寺院に建てられていた ものが神社にも建てられるようになったとのこと。神社検定の勉強の中で始めて知った。この灯篭の数はそれだけ春日 四所明神にご加護を願う人が多いってことだろう。
 灯篭を観終わった後、春日大社を後にした。まあもっと奥に入っていけば、いろんな神社を観たり、若草山を登る こともできるが、別の機会とした。

春日大社正面の鳥居
 春日大社のそばの「荒池」。ここから見える興福寺の五重塔とこの池を含めた風景は、絵になるので好きだ。 荒池の説明文を読むと、池自体は定かではないが、江戸時代にできたものとのこと。もっと昔かと思ったら以外と 新しいんだということを知った。記念写真を撮った後、石上神宮へ向かった。
 ここから石上神宮までは、暫く距離がある。といってもそれ程長い距離ではないが。丁度7時過ぎ。気温は上が り始めていて日陰がない道路だと手が日焼けしているなあと感じられた。
 前回同様頭に濡れ手ぬぐいを巻きその上からヘルメットという様相なので、カッコ悪いが暑さで頭がボーっとす るのは避けれるかなと思った。
 天理に入ると天理教独特の建物が見え始める。実家は天理教ではないので天理教がどんなものか全く知らないが、 独特な建物は「千と千尋の神隠し」にでてくる湯屋を思い起こさせた。
正月に実家に帰ったときは必ずこの石上神宮に初詣に来ている。 うちの先祖が物部氏に近いからだそうだ。物部氏というのは奈良時代蘇我氏と争い、負けた人物で記憶に残 っている。それがいやというのではなく、うちの先祖って歴史上活躍した人物なんだ~という感覚だった。  石上神宮についたらパラパラと人が来ていた。でもお参りというよりは、私と同じくバイクの方やハイキングの方 のようだった。山辺の道は、名前の通り山の中を南の大神神社の方面まで続いている道のことをいうらしい。それ程 高低差はないようで道中、古墳や神社仏閣が点在している。ロードバイクではいけないので、その山道と並走して いる県道51号を走っていった。
 石上神宮は、剣の神様「布都御霊大神(フツノミタマノオオカミ)」を祭っている。この剣は神武天皇が熊野で 山神に殺されそうになるのを救った剣。その他にも、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したときに使った 剣や、その他伝説にまつわる剣が祭られている。写真は本殿。  また「魂振り」という蘇生の呪術がここにはある。「振り」という言葉は「身を奮いたたせる」という言葉の 語源になっているとのことで、活力の衰えた魂に対しエネルギーを与え奮い起こすことが目的といわれている。「振り」 という言葉が、呪術では「布留(ふる)」と書かれ、「布留町」や「布留川」等地名にも付けられている。

鳥居から入って向かって左:社務所
鳥居から入って向かって正面:本殿へ続く階段
鳥居から入って向かって右:手水所
 基本的にはこの「呪術」を使って健康を願うとのこと。でもその呪言が「布留部(ふるべ)由良由良(ゆらゆら)と、 布留部、かく為しては、死人も生き返らむ」と唱えるとのこと。「死人」も生き返る位強烈な霊威とのことで、 最初は「日本版ゾンビか?」と思ったりもした位だ。でも非常に神秘的だと思った。
 またこの神社には鶏がいっぱい飼われている。夜明けを伝える鳥として神の使いといわれて、この神社で何匹もいる。 朝早いせいか何匹もの鶏が「コケコッコー」と鳴いていた。
 もちろんこんなことを知ったのは神社検定がきっかけ。やはり予め知っていると見方が違っていい。  こういった神秘性や歴史を知ると益々この神社が個人的に好きになった。

摂社:出雲建雄神社
摂社:天神社
 次に来たのは「夜都伎(やとぎ)神社」。石上神宮から少し南に下ったところにあった。それほど大きい神社では なかった。しかし神社の説明を読むと春日神社とは縁が深く、春日神社の社殿や鳥居を60年おきに譲ってもらっている とのこと。写真の鳥居も元々は春日若宮神社のものだったよう。
 鳥居をくぐって境内に入ったが、狭い境内の中に本殿があった。本殿の屋根は藁葺だった。これは他の神社には見られない 特徴と案内版には書かれていた。

県道51号からの入口にある鳥居
藁葺屋根の本殿
 「夜都伎神社」に近いところに「大和(おおやまと)神社」があった。ここは第二次大戦時には戦艦大和の守護神として祭られた ことで有名らしい。「大地主大神」を祭っていて、交通安全とか土木建築関連での安全祈願で参られる方が多いようだ。 鳥居から少し歩いたところに本殿があった。こちらも人は殆どきていない。ここで少し休憩。日陰もあり気持ちよかった。
 中に幾らか摂社があった。増御子神社は導きの神として「猿田彦大神」と「アメノウズメ」が祭られている。猿田彦大神は天孫ニニギ ノミコトが天から来た時に最初に案内役をした神なので「導きの神」。また「アメノウズメ」はのちに猿田彦大神と結婚したので、同じく 「導きの神」とされているのだろう。学業成就、家業繁盛等授けてくれるとのことであった。

本殿
増御子神社
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